エタパに向けて(3):メタって、どうやって考えるのが良いのか?
2011年1月31日前回(参照:http://hal9000.diarynote.jp/201101222029513688/)の続き?
エタパのメタは、どうやって考えるのがよいのだろうか?
最近、「適当でよくね(-。-)」と考えるようになった。その理由をいかに記載する。
1)正確に予測することの限界
半数以上が見知ったプレイヤーが参加する大会なら、かなりの精度でメタを予測することができる。だが、エタパは参加者が200人を超えることが見込まれる。しかも関西人が主体といっても全国から集まるだろう。当然その中には、普段レガシーをやらないスタンダードプレイヤーやカジュアルプレイヤーも多数参加するはずであり、彼らは強いデッキよりも好きなデッキで出る傾向が高い。そこからメタの予測、特に正確な予測は困難だ。
またメタは、過去の大会の実績をもとに予測するが基本だ。だが、地元の大会(BLC)のメタを拡張して予測はできない。参加者が数倍だからだ。
WORLDやエタフェスも駄目だ。適者生存が禁止になったからだ。そこからも正確な予測は困難だ。
2)正確に予測する必要がない
思考実験だが、仮に全参加者のデッキが大会前、事前にわかったらどうするか?
必死になってデッキタイプを分析して、最適なデッキを作るだろうか?多分Noだと思う。
レガシーの各デッキタイプは、最大勢力でも1割程度だ。そして、必ずそれにあたるとも限らない。当たるか当たらないかは運だ。ましてや、全てのデッキに勝つデッキは当然存在しない。そして、デッキを考える時間だけが費やされるだろう。
つまり、正確にメタを予測する必要はない。それよりもプレイングを練習した方が、はるかに有意義だ。
3)ではメタは予測する必要はないのか?
これは違うと思う。自分自身のデッキを構築する場合、必ずメタが前提にないと作れない。あらかじめデッキタイプを決めているプレイヤーでもサイドボードはメタを前提に考えるはずだ。
つまり、
大前提:メタとは、正確に予測できないし、正確に予測する必要もない。
小前提:しかし、メタがないと始まらない(デッキが作れない)。
非論理的結論:なのでエタパのメタを予測するのは適当でいい。メタよりもデッキよりもカードよりもプレイングなんだ。
(´・∀・`)b
エタパのメタは、どうやって考えるのがよいのだろうか?
最近、「適当でよくね(-。-)」と考えるようになった。その理由をいかに記載する。
1)正確に予測することの限界
半数以上が見知ったプレイヤーが参加する大会なら、かなりの精度でメタを予測することができる。だが、エタパは参加者が200人を超えることが見込まれる。しかも関西人が主体といっても全国から集まるだろう。当然その中には、普段レガシーをやらないスタンダードプレイヤーやカジュアルプレイヤーも多数参加するはずであり、彼らは強いデッキよりも好きなデッキで出る傾向が高い。そこからメタの予測、特に正確な予測は困難だ。
またメタは、過去の大会の実績をもとに予測するが基本だ。だが、地元の大会(BLC)のメタを拡張して予測はできない。参加者が数倍だからだ。
WORLDやエタフェスも駄目だ。適者生存が禁止になったからだ。そこからも正確な予測は困難だ。
2)正確に予測する必要がない
思考実験だが、仮に全参加者のデッキが大会前、事前にわかったらどうするか?
必死になってデッキタイプを分析して、最適なデッキを作るだろうか?多分Noだと思う。
レガシーの各デッキタイプは、最大勢力でも1割程度だ。そして、必ずそれにあたるとも限らない。当たるか当たらないかは運だ。ましてや、全てのデッキに勝つデッキは当然存在しない。そして、デッキを考える時間だけが費やされるだろう。
つまり、正確にメタを予測する必要はない。それよりもプレイングを練習した方が、はるかに有意義だ。
3)ではメタは予測する必要はないのか?
これは違うと思う。自分自身のデッキを構築する場合、必ずメタが前提にないと作れない。あらかじめデッキタイプを決めているプレイヤーでもサイドボードはメタを前提に考えるはずだ。
つまり、
大前提:メタとは、正確に予測できないし、正確に予測する必要もない。
小前提:しかし、メタがないと始まらない(デッキが作れない)。
非論理的結論:なのでエタパのメタを予測するのは適当でいい。メタよりもデッキよりもカードよりもプレイングなんだ。
(´・∀・`)b
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