何回回せば納得するのか?
2011年10月5日コメント (2)<注意>いつにもまして、イミフのDNです(-_-)
「それ回したの?」「それ何回回したの?」
新しいデッキや理論が提唱されると必ず聞くことになる質問である。マジックプレイヤーなら一度は言われた経験があるのではないだろうか?または、言った経験はないだろうか?
マジックにおいて、新しいデッキや理論が正しいか否かは、机上での思考実験より、実戦(つまり回した回数)での結果が重要視される。よって、質問する側は、上記のような質問をする。
だが、ふと疑問に思った。それは、何回回せば納得するのか、という点だ。
それは、100回で納得するかもしれないし、10回で納得するかもしれない。逆に、500回以上回しても納得しないかもしれない。これは、この質問をする側(プレイヤー)によって異なるだろう。
仮に100回で納得するというプレイヤーがいたとしよう。だが、この100回という数字に論理的な理由や根拠などない。50回でもいいはずだし、10回でもよかったはずだ。100回でなければいけない理由を論理的に答えることはできないはずだ。つまり、納得する回数というのは、非常に感覚的、直感的なものであり、自分の納得感の閾値なのだ。
これを突き詰めると、回した回数と正しいか否かの問題とは、全然関係がないことになる。つまり、「何回回したのか?」と聞くのは非常にナンセンスだ。プレイヤー毎に納得する回数は異なるのだから、質問をしたプレイヤーの納得する回数は、そのプレイヤー自身しか知らない。質問される側が知っているはずがないからだ。
もし、質問するなら「私は、100回以上回していないデッキは、納得しない。よって、そのデッキは、100回回したのか?」と言うのが正しい。
自分のデッキを何回回せば納得するか自問自答してみよう。
それが、自分自信の納得という感情の高さだ。
「それ回したの?」「それ何回回したの?」
新しいデッキや理論が提唱されると必ず聞くことになる質問である。マジックプレイヤーなら一度は言われた経験があるのではないだろうか?または、言った経験はないだろうか?
マジックにおいて、新しいデッキや理論が正しいか否かは、机上での思考実験より、実戦(つまり回した回数)での結果が重要視される。よって、質問する側は、上記のような質問をする。
だが、ふと疑問に思った。それは、何回回せば納得するのか、という点だ。
それは、100回で納得するかもしれないし、10回で納得するかもしれない。逆に、500回以上回しても納得しないかもしれない。これは、この質問をする側(プレイヤー)によって異なるだろう。
仮に100回で納得するというプレイヤーがいたとしよう。だが、この100回という数字に論理的な理由や根拠などない。50回でもいいはずだし、10回でもよかったはずだ。100回でなければいけない理由を論理的に答えることはできないはずだ。つまり、納得する回数というのは、非常に感覚的、直感的なものであり、自分の納得感の閾値なのだ。
これを突き詰めると、回した回数と正しいか否かの問題とは、全然関係がないことになる。つまり、「何回回したのか?」と聞くのは非常にナンセンスだ。プレイヤー毎に納得する回数は異なるのだから、質問をしたプレイヤーの納得する回数は、そのプレイヤー自身しか知らない。質問される側が知っているはずがないからだ。
もし、質問するなら「私は、100回以上回していないデッキは、納得しない。よって、そのデッキは、100回回したのか?」と言うのが正しい。
自分のデッキを何回回せば納得するか自問自答してみよう。
それが、自分自信の納得という感情の高さだ。
コメント
例えばスタンの4キル率が最も高くなるように組まれた赤単とか。
逆によく分からない1枚指しとかは回してて強くても納得できませんね。