対戦に勝った場合、「わからせた」と言う。逆に対戦に負けた場合、「わからせられた」と言う。これらの言葉について疑問がある。それは、「何が?」ということだ。「をわからせたのか?」、「をわからされたのか?」

"デッキの強さ"か?
だが、全く同じデッキを使用していても、使われる言葉のため、違うだろう。

"プレイングの腕の差"か?
だが、同じプレイングの技量を持ったプレイヤー同士の戦いの場合でも使われ言葉のため、違うだろう。

では、何か?
私の考えは、"屈辱感"、"敗北感"だと思う。

「屈辱感(敗北感)をわからせる」、「屈辱感(敗北感)をわからせられた」これだと、すんなり腹に落ちる。


この言葉からも、マジックは非情ななゲームであり、非人道的なゲームなのがわかる。そこにスポーツとは違った凄惨な世界を垣間見ることができる。


参考過去DN:「マジックは他人を不幸にするゲームだ」
http://hal9000.diarynote.jp/201209172101037718/

コメント

宮古カテラン組合(怪物)
2012年9月29日23:47

はい、は~い。意見で~す
腹に落ちないで喉で詰まってる人で~す

ギャザは算数だと私は考えてるので
「数式の正しさ」をわからせる、される。だと思います。
勝=正解、負=不正解、引き分けは…採点間違い?

相手に「敗北の屈辱感」を知らしめるために戦うなら
「相手を敗北させる能力」があっても
「自分を勝利させる能力」は発生しないと思います

ゴリ押しっぽいですけどよく言うじゃないですか。
「○○に対する数少ない解答」とか。

非情さとか残酷さは感じた個人差で
付けられた順位がテストの正解率
ゲームはゲーム。順位は順位。
って割りきり方の方が非情ですかね~

KURATA_HAL
2012年9月30日21:10

>ねこのなまものさん

「数式の正しさ」というのは、おもしろい観点です!しっくりきます!

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